中   部 (CHUBU)

◆ 保有・管理 ◆ 寒川中部自治会

◆ 運   行 ◆ 太鼓台運行委員会

◆ 旗   印 ◆ 翔龍 寒川中部太鼓台


◆ 太鼓台の歴史 ◆
 
 太鼓台は、旧四房の箱書きにあった明治29年頃よりの運行とされるが詳細は不明であり、現在の太鼓台は地区内に2台あった太鼓台を合わせたものが基本となり、彫物と重受けは当時のものと見られる。現在の太鼓台とは違い掛蒲団も4枚あったようだ。
 
 1台の太鼓台になった当時は、寒川には八幡丸のほかに第1号東部、第2号中部、第3号西部と4台の太鼓台があったと聞いている。昭和38年まで運行の後10年間運行の出来ない時期もあったが昭和47年より地元青年有志らが、「太鼓台保存会」を結成し復興を遂げるが、この年天候に恵まれなかったため昼間の運行が出来ず、夕方より電球を燈したのが夜太鼓の始まりと言われている。
 
 トンボのくくりは当時とは異なり、伊予三島の太鼓台では珍しいちょうさくくりを取り入れている。平成3年は自治会を母体とし「太鼓台運行委員会」が発足され、平成13年「翔龍」と命名、現在に至る。


◆ 一    言 ◆


皇孫殿下御誕生慶祝行事 統一会場にて



差し上げ!中部太鼓台!