◆ 保有・管理 中田井・幸町・野々首自治会

◆ 運行 中田井青年団

◆ 旗印 第参號 中田井


◆ 太鼓台の歴史

初代の太鼓台は江戸時代中期頃に出来たと言われている。

その後2台目は明治38年に全て新調、飾幕は山下茂太郎によって作られ、当時、総金糸の飾幕は中田井が初めてだったそうである。

現在運行されている太鼓台の飾幕と房に昭和63年より新調が始められ、平成7年に完成した。房は今の太鼓台には無いあずき織である。掛蒲団は三島ではめずらしい4枚である。

新調時には、当時の飾幕(金物)をそのまま復元をするにはいくらかかるかわからないほどすばらしい物であった。
飾幕の獅子の数は、蒲団締20・四ツ幕20・掛蒲団12匹の計52匹である。獅子の図柄の言われは、神社の守りのこま犬から来たのでは無いかと言われている。
昭和初期頃のゴマは山の道が悪い為、細い道でも内側のゴマでも通れるようにと内外に一つずつの計四つの木ゴマが付いていたそうである。
昭和25年~27年頃までは春祭り(八幡祭り)には野々首で組立をして赤七重で出て、秋祭りには中田井で組み立てていたそうである。一時期は2台の太鼓台を所有していた。(大正末期に大野原町に売却する)
初代のかき棒を現在の補助枕に利用している。

法被の由来については諸説あるが、野々首、中田井、幸町の三部落を見守るように鎮座する横地山(三島公園)が三島随一の桜の名所である事から、それにちなんで『』になったと言われている。
三島名物、夜太鼓の灯りの下で舞う『』の法被は、春の夜にかがり火に照らされて舞い落ちる桜の花びらを思い起こさせる優美さである。

◆ 一言

令和元年

平成三十年

平成二十九年

18年22日地元運行

18年23日お宮内差上げ

18年23日お宮前

18年23日御旅所運行

集会所前での集合写真

準備風景_とんぼ木目詰・七重組立・とんぼ括り