◆ 保有・管理 中之庄地区・中之庄太鼓台保存会

◆ 運行 中之庄太鼓台保存会・青年団

◆ 旗印 中ノ庄太鼓台青龍號


◆ 太鼓台の歴史

昭和初期の中之庄太鼓台は、赤七重に赤トンボ、引幕(四ツ幕の一枚版)といったスタイルで、昭和10年代に五色の七重になったそうである。その後、真古町の大工の手により彫刻組物一式を新調、昭和39年に中之庄財産区の青年林(せいねんばい)を売却し、掛蒲団以外の飾幕全てを新調。
現在の姿となったのは、掛蒲団を新調した昭和56年と言える。

昭和初期の21日の「氏参り」は、重受まで準備した状態で参拝し、22日の「宵のもし」は、一号太鼓台の中之庄太鼓台を先頭に具定太鼓台と共に江戸錦まで運行し、そこで昼食を取り、夕刻には集会所に帰っていた。
金子の索道があった所(コスモパルの東)から本町を貫け江戸錦までは、毎年ゴマを外して担いで運行。
23日の「神事」は、今宮神社に宮入後、御神輿の後を付いて運行し、上部御旅所で昼食を取り、午後3時頃には片付けをしていたそうである。

戦後7~8年太鼓を出さなかった時期もあったが、昭和53からは毎年運行している。

法被の背文字は、「水波」から昭和53年に「祭」と変換し、平成15年の新調の際の、房の上に屋号である「青龍」をあしらった法被となった。中之庄太鼓台は、昔から青龍太鼓と呼ばれており、一時「水波」と書かれていたのは、背後の法皇山脈に水波権現をいただいていることからきたと推察される。

「青龍」は、中国古代に信じられた空間的動物「四神獣」の一つで、東を青龍、南を朱雀、西を白虎、北を玄武に当て、各々春夏秋冬に配し、星宿に配当(青春、白秋、朱夏、玄冬)したものである。
またそれぞれの居所に準えて、地相上で、東方に流水、西方に大道、南方に汚地(おち)、北方に丘陵を有する所が天の四神に応じた最良の土地柄とされており、青龍と水は密接な関係にあると言える。

第35回新居浜夏祭り

彫刻 石水信至 作

平成27年 新調お披露目

令和元年 奉祝運行

中之庄太鼓台 写真館

中ノ庄青龍太鼓台幕

 図柄     竜宮城海女の玉取り伝説
 製作者    山下 八郎氏 昭和39年
 差し替え者  山下 茂氏  平成3年
 金糸材質   純金

由 来

時の高貴の方のいいつけで、竜宮城の龍が持つ宝玉を持って帰るように命じられた武将たちが、乙女を使い、宝玉を取りにいく話。

青龍は、水の神であり、豊穣の神であることから、高名な水にからむ伝説が用いられたと思われます。

一の幕 前面幕

二人の武将が船に乗り、紐をつけた乙女を引っ張りあげている龍との遭遇に対して、身構えている。二人の武将の顔の迫力が見事です。

二の幕 右面幕

宝玉を取られたことに気付いた龍が怒りながら追いかけ、取り返そうと襲いますが、乙女は、龍が嫌いな乙女の血を自分の乳房を小刀で傷付けながら船に逃げています。
清らかな乙女の顔と、迫力の龍の顔が圧巻です。特にお互いに目を見つめながらの緊張感があります。

三の幕 後面幕

竜宮城の前門から出て行く龍の後部が見えます。
特に前門の細かいところまでみられます。
龍も迫力ありますが、この面は、門の飾りの細かさです。

四の幕 左面幕

竜宮城の本殿です。垂木、瓦、欄干等の細かさがいっそう全体の重厚さを幕全体にかもし出されています。
祭のときのお宮のように、厳粛な感じが出ています。