設立の趣旨

伊予三島市の伝統ある祭礼行事を各自治会相互の協調により、盛大且つ厳粛に行う事。
文化的な財産である太鼓台の保存と伝統様式の継承並びに平和運行を推進する事。
当会は、神社を中心とした昔ながらの祭礼様式を堅持はするが、発展的な部分を否定するものではない。太鼓台の型式・太鼓の叩き方、掛け声等、伝統面は後世に残しながらも、運行形態等に正当な理由に基づいた新しい手法を取り入れる事を完全否定せず、正当な祭りの盛り上がりに必要な要素には寛容である事。
※  四国中央市誕生以降、伊予三島太鼓祭り実行委員会 を伊予三島秋祭り実行委員会と改名致しました。

設立の経緯

一時期の三島祭りは見るも無残な程に衰退していました。
昭和60年当時、三島地区では東町、上町、中組、中田井、中之庄の5台が閑散と運行する程度、寒川・豊岡地区でも中部、大町、豊田、江之元八幡丸の4台と、市内全て合わせても計9台、それらの太鼓台がそれぞれに運行という寂しい祭りというのが現状でした。
そんな折、少しでも祭りを盛り上げようと、当時の東町・上町支部長間に22日の宵のもしの統一案が浮かび、5台の太鼓台が駅前に集結。
今日の実行委員会体制の兆しとなった一瞬でした。
その他、翌61年には川原町、63年には西町と真古町が、それぞれ準備段階を経て復活、三島地区住民に馴染みの太鼓台8台が出揃った状態での秋祭りとなったのです。
その時、支部長同士が集まり検討した結果、「三島太鼓祭実行委員会」という現在の「伊予三島太鼓祭実行委員会」の前身である委員会が平成元年に組織化されました。
その後、平成4年に具定が復活、平成6年の市政施行40周年を機に、三島地区9台と寒川・豊岡地区4台に新たに加わった宮西・西村の1台を加え、14台による「伊予三島太鼓祭実行委員会」が組織されるとともに、これまでなかった寒川・豊岡地区に「寒川・豊岡太鼓祭実行委員会」が組織され今日に至っております。
この間、平成7年に長田、平成9年に金子町、平成10年に寒川の西部が加わり、現在では、17台の太鼓台により運営されるようになり現在の活気ある秋祭りへと変貌を遂げたのでした。
尚、現在は完全な形ではありませんが濱町・明神丸が運行を一部再開しており早期完全復活が待ち望まれております。